日中戦争が無かったら、どうなっていた?

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1937年7月の盧溝橋事件に端を発した日中
戦争。

日本では、支那事変として戦争ではないと言っ
ていた戦争です。それは、なぜかと言えば、戦
争だと中立法があったアメリカから輸入が出来
なくなるからです。

それは、中国も同じでした。表だって日本と宣
戦布告したらアメリカから武器や物資を輸入で
きなくなります。

日中戦争とは、そんな微妙な戦争でした。

 

西安事件がそもそもの本格的対日戦争の発端

あまり知らない人が多いと思いますが、当時の
中国は、国内各地の軍閥(武装集団)や、中国
共産党軍などが、互いに中国を統一しようと内
戦状態でした。

蒋介石率いる国民党軍は、北京周辺の軍閥に対
して何度も北伐(ほくばつ)を行います。
1922年2月~6月
1924年9月~11月
1926年7月~1928年12月
と、北伐による内戦が起きていました。

そして、匪賊というゲリラが群雄割拠し、中国
各地で、略奪をおこなっている混沌とした地域
でした。

そんな中、日本は、1931年の柳条湖事件に
端を発した満州事変で、満州全土を占領。
1932年には、清朝最後の皇帝溥儀を満州国
皇帝に就かせます。

そして日本は、満州事変の後、万里の長城まで
の戦線を拡大するための「熱河作戦」に勝利し
て、熱河省を勝ち取り新たに設立した満州国に
併合させることに成功します。

この時、この地域の匪賊(武装ゲリラ)は、一
掃されて治安が回復したといいます。

そして、塘沽(タンクー)停戦協定が結ばれ、
戦闘は、一旦終了します。

しかし、中国での内戦は、後を絶ちません。

新興した中国共産党軍は、勢力を拡大しますが
蒋介石らの殲滅戦で共産党軍は、21万人から
7万人にまで減らされていました。

そんな中、西安で蒋介石を拉致する事件が19
36年12月に発生します。

この一報で、中国共産党は、蒋介石の殺害を検
討しますが、ソ連のスターリンの一声で、立ち
消えとなります。
その上、蒋介石を解放しなければ、コミンテル
ン(共産主義の革命組織)を除名すると恫喝し
ます。

これにより、中共が手を組む「国共合作」が成
立し、共同で日本と戦う事になりました。

これで、対ソ戦を予想して中国と手を結ぼうと
していた日本の思惑は、大きく外れます。

後に、西安事件が無ければ、共産党は、消滅し
ただろうと言われています。

そして、西安事件が、日本にとって取り返しの
つかないものになってしまいました。

それは、抗日運動が中国全土に広まり、日中の
衝突を避けれない事を意味します。

日本にとって、不穏な空気が漂い始めます。

 

盧溝橋事件と通州事件と、その後の展開

日中の戦闘の発端となった盧溝橋事件。
それは、演習中だった日本軍にむけて放たれた
数十発の銃弾から始まりました。

1937年。中華民国に通知済みで演習を行っ
ていた歩兵第一連隊に対して夜間、数十発の銃
弾が撃ち込まれました。

これに対して、日本も自衛の為に応戦。
翌午前9時には、中国側の停戦要求で、一旦停
戦状態に入りました。

この事件は、共産党のコミンテルンによる陰謀
だとも噂されています。

ソ連のスターリンの魔の手が伸びてきます。

この時は、一旦停戦になったのですが、中国軍
は、コミンテルンの指導の下、兵力を増強させ
ていきます。

そして、日本人を震撼させる通州事件が発生し
ます。
北京の通州区の日本の租界地に、中国軍が侵入
して、目に余るような残虐な方法で警備隊だけ
でなく一般市民223人(内日本人117人、
朝鮮人106人)は、惨殺されました。

残酷な方法については、詳しくは書きませんが
例えば目をくり抜くとか、内臓を取り出すとか
文章には、とても書けない非道な殺し方です。

これは、中国人にとっては、比較的ポピュラー
な殺し方で数千年の歴史で培ってきた残虐な風
習ですが、日本の一般人にとっては、あまりに
酷過ぎると世論は「中国を懲らしめろ!日本軍
は、弱腰だ!」と、戦争ムードがたちこめてき
ました。

そして、中国軍は、ついに上海事件を起こし、
現地を警備していた日本海軍陸戦隊と激しい攻
防戦となりました。

これは、あくまで想像なのですが、これらの事
件の裏には、あのコミンテルンが裏で糸を引い
ていたのではないかと思います。

日本を戦争に引き込んでいく。

それが、彼らの目的だったのです。

日本は、その後、まんまと彼らの思惑通りに軍
隊を次々と送り込み、泥沼の様な果てしない戦
いに引きずり込まれていくのです。

やがて、太平洋戦争が始まると、中華民国は、
日本がアメリカに宣戦布告したので、連合国側
として日本に宣戦布告します。

そのため、中国は、アメリカから武器や物資の
提供を受けることができましたし、中国奥地に
アメリカの飛行場を建設し、太平洋戦争終盤に
は、そこからB-29戦略爆撃機が、日本を空
襲するという事態になります。

日本が、アメリカに開戦を決意したハルノート
もコミンテルンが関与されているという推測も
あります。

スターリン恐るべしです。

日本は、国力が10倍のアメリカ相手に、未曽
有の二方面作戦を強いられることになり、やが
て終戦後(終戦後ですよ!)北からソ連軍に攻
められるという、ひどい有様になります。

 

戦争には、消極的だった日本政府

歴史の教科書は、日本軍がアジアでひどい戦争
をしてきたと自虐史観を植え付けていますが、
鼻息の荒かった陸軍に対して、政府は、中国で
の本格的な戦闘には、消極的でした。

日本の方針としては、満州国を建国し、北の脅
威(ソ連)からの緩衝地帯を設ければ、敢えて
中華民国と戦争は、しない方針でした。

北方では、それでも匪賊(武装ゲリラ)の討伐
が、必要不可欠で行われていましたが、正規軍
との戦いは、極力避けていました。

それは、アメリカを仮想敵国として見た場合、
大陸と太平洋の広大な地域での戦争は、日本の
国力からして無理と判断していたからです。

特に、海軍はリアリストで、アメリカとの戦争
は、無謀だと、有名な山本五十六も言っていま
す。1~2年は、暴れられるけど、後は、アメ
リカの国力に勝てないと、開戦前から悟ってい
ました。

陸軍は、どうでしょうか。

陸軍は、日清日露と大きな戦争で勝ってきた自
信からか、近代戦の怖さを知らず、歩兵の突撃
で、敵を圧倒出来ると信じていました。

熱河作戦やその他、中国の匪賊との戦いでは、
確かに勝ってきました。中国、恐るるに足らず
と楽勝ムードです。

日中戦争が起きた原因の一つに、陸軍の自信と
先見の目が無かったことにあります。

1939年5月~9月にかけて、満州国とモン
ゴル人民共和国との国境を巡って発生した、ノ
モンハン事件で、日本陸軍は、ソ連軍と日露戦
争以来初めて砲火を交えます。

戦果は、日本のほうが多かったのですが、多大
の損害を被り、機械化した近代戦の威力をまざ
まざと見ることになりました。

日本惨敗という印象の強いノモンハン事件です
が、航空戦では、多くのソ連機を撃墜して制空
権は、掌握したようです。

しかし、手痛い出血があったのは事実です。
でも、日本陸軍は、これらの近代戦の厳しさを
学習しませんでした。

ただ、政府は、戦争に反対しています。
日本の国力を解っていたんですね。

ところが、日本陸軍は、中国での戦端を開いて
しまいます。

それだけ、当時は、軍部の力が強かったことが
うかがい知れます。

 

日中戦争を回避すれば太平洋戦争も回避できた

ここからは、歴史のイフの話しです。

盧溝橋事件や通州事件がきっかけで、中国との
戦端が開かれた史実に対して、もしもなんです
が、陸軍が政府の言う事を聞いて戦闘を開始し
なければ、中国の国共合作は、瓦解し、再び内
戦状態になったはずです。

日本は、徹底的に防衛戦のみに徹して、攻めら
れたら反撃するのみに留め、内陸部への侵攻を
せず、中国沿岸部や、満州国境、租界地の警備
に徹します。

そして、満州国には、対ソ連向けの強力な軍隊
を整備します。

本来日中戦争にかかった経費を陸軍の近代化に
お金を使い、強力な戦車や火砲の整備、歩兵の
持つ小銃の自動小銃化を進めます。

いや、それは無理だよと言う人も居ると思いま
すが、日本は、自動小銃の試作にも成功してい
ますし、太平洋戦争後半では、アメリカのM4
シャーマン戦車を撃破できる3式戦車チヌや、
より強力な4式戦車チトを開発しています。

戦艦大和を建造できる能力のある日本です。そ
の気になれば、強力な戦車だって開発できたは
ずです。海軍の装甲版の技術を陸軍にも供与し
ていれば、より強固な戦車も作れたなずです。

日中戦争の膨大な経費と甚大な人員的損害が無
ければ、そうした陸軍の近代化も夢の話しでは
ありませんでした。

日中戦争を回避していれば、そもそも太平洋戦
争のきっかけとなったアメリカから日本へ突き
つけたハルノート(中国戦線からの撤兵などを
盛り込んだ最後通牒)が、出せません。

そして、アメリカは、日本への石油禁輸や鉄屑
の禁輸をする口実さえありません。

中国と戦争をしていない(小規模な防衛的戦闘
はあるけど)状況だと、なんら制裁を加える理
由が無く、日本は、様々な技術をアメリカから
輸入することもできます。

そして、航空機用ガソリンの精製プラントの輸
入(史実では直前で中止された)を出来てしま
えば、歴史は、変わっていきます。

戦争をしていない余裕の時間で、中国北部での
石油探しで、大慶油田を発見(史実では、あと
少し深く掘っていれば見つけてった)をすれば
情勢は一気に変わっていきます。

南方の石油を狙っていく必要もなくなり連合国
に宣戦布告する必要も無くなります。

史実では、対日禁輸が発動されるまでの日米関
係は、良好だったといいます。

日中戦争が無ければ、太平洋戦争が発生する必
要は、全く無くなります。

つまり、軍民合わせて300万人の犠牲者も出
ず、日本国土も焦土化せず、1945年現在で
も日本は、昭和レトロな雰囲気で平和な暮らし
で、早く近代化していったかもしれません。

その代り、ヨーロッパでは、アメリカが参戦で
きないので、ドイツの一人勝ちになり、ドイツ
のソ連侵攻も成功したかもしれません。

それは、極東の守りを軽視できず、独ソ戦をソ
連の勝利に導いたジューコフ将軍が極東に釘付
けになるので、粛清で弱体化していたソ連軍は
ドイツの攻撃を支えきれないからです。

そして、東南アジアの独立も、もっと先、いや
出来なかったかもしれません。

 

日中戦争が無ければ中国はどうなっていた

さて、本題の日中戦争を日本が回避していたら
中国は、どうなっていたかです。

まず、日本が、中国の挑発に一切乗らずに、侵
攻してこなかった場合が前提ですが、ソ連のス
ターリンは、たぶん中国共産党を見限る可能性
があります。つまり、支援を受けれない。

日本の情報機関は、ソ連のスパイを徹底的に捜
査して捕まえてしまう。そして、その情報をア
メリカにも伝える。
レッドパージ(赤狩り)です。

ソ連の思惑を握りつぶしてしまいます。

規模を拡大させていたとはいえ、共産党軍は、
蒋介石によって滅ぼされていた可能性が非常に
高くなります。

そして、中国は、各地の軍閥と蒋介石の国民党
軍との内戦が勃発します。

国民党軍は、アメリカの支援を受けていたので
長引いたとは思うけど、1950年頃には、中
国全土を掌握できたはずです。

中国本土に中華民国の成立です。

そして、歴史のイフですが、ここで日本軍が国
民党軍に協力した場合です。
熱河作戦で見せた対中国軍閥への強さを発揮し
て、日中合作で、もっと早く内戦を終結したか
もしれません。
しかも、イフの世界の日本陸軍は、予算の余力
で機械化された近代的な強力な軍隊です。

元々、蒋介石やその仲間たちは、日本で軍事な
どを学んできた人々です。
敵対どころか、友好的になれば、内戦を早く終
結して、日本の協力で国の近代化を進めたかも
しれません。

共産党に支配され毛沢東の名のもと文化大革命
で、7000万人以上が粛清された悲劇も避け
られ中国の近代化は、もっと平和裏に進んでい
ったのは、間違いないと思います。

 

まとめ

日中戦争が起きなければ、中国の共産化は、無
く中国全土が中華民国(現・台湾)になり、日
本と共に発展しアジアのブロック経済を確立し
たかもしれません。

後は、想像なんですが、日本が掲げた大東亜共
栄圏(アジアの植民地解放)は、対米戦抜きに
イギリスやオランダ、フランス相手に宣戦布告
して日中共同で行われたかもしれません。

アメリカの支援を受けられないイギリスやソ連
は、ドイツの脅威に晒されます。

日本の艦隊が、インド洋を押さえたら、イギリ
スは、膨大な植民地を失い資源も枯渇してドイ
ツに負けちゃうかもしれません。

日中戦争をキーワードに書いてみましたが、ち
ょっとした事で歴史って変わっちゃうんですよ
ね。ただ、このイフの場合、日本は、いまだに
徴兵制があるかもしれないので、それは、ちょ
っと嫌かなと思います。