日本の戦前戦中の航空機生産の意外性

ゼロ戦

現代日本では、航空機を製造するメーカーは、
ヘリを含めて、三菱重工業、川崎重工、新明和
工業、スバル、ホンダの5社。
(グライダーは除く)
あとは、IHIがエンジンを作っていますが、
工業大国(今は少し廃れているけど)日本の航
空機を生産しているのは、僅かです。

そのほとんどが、自衛隊向けの装備品。

さて、そんな日本の航空産業ですが、戦前戦中
は、どうだったのでしょうか。

意外や意外、その裾野の広さに驚くこと間違い
無しです。

 

意外と早かった航空機生産の芽

今回は、航空機好きな人でないと解りにくい内
容ですが、戦前の日本の意外な一面を知る事が
できる内容になっています。

なんとなく、教科書では、アメリカの物量に圧
倒されて負けた印象だけが独り歩きしています
が、戦前戦中の日本も、なかなか捨てたものじ
ゃありません。

明治40年(1907年)、早くも海軍は、飛
行機の将来性に着目していました。

日本の動力飛行機の初飛行は、明治43年(1
910年)ドイツ製のグラーデ単葉機で、ライ
ト兄弟による初飛行から僅か7年後です。

当初は、輸入機や輸入エンジンで製造していま
したが、次第に技術力を蓄え自力で航空機を生
産できるようになります。ほとんどがライセン
ス生産ですが、現代も似たようなもので、アメ
リカの戦闘機やヘリをライセンス生産している
ので、自前の航空機は、少ないです。

第一次大戦では、航空機の発展が目覚ましく、
日本でも航空機の技術が高くなってきました。
ライセンス生産とはいえ、空を飛ぶ物を作るの
ですから簡単な技術では、ありません。

航空機は、機体の素材、エンジン、装備など、
高度な技術が必要です。つまり、当時の日本で
は、ライセンス生産とはいえ、それらを製作す
る技術が芽生えていたという事です。

蓄えてきた技術力で、次第に日本独自の航空機
も製造できるようになります。

そして、昭和7年(1932年)の上海事変の
時、航空母艦「加賀」から発艦した一三式艦上
攻撃機と三式二号艦上戦闘機二機が、蘇州上空
で、中国軍のアメリカ人義勇飛行士ロバート・
ショートが操縦するボーイング218戦闘機と
遭遇戦になり日本航空機史上初の撃墜を記録し
ました。

このように、日本の航空機産業は、欧米と引け
を取らず進歩していきました。

そして、1935年頃になると、日本独自の航
空機の多くなり、以降は、日本流の発展をとげ
ていくことになりました。

 

戦前戦中の航空機製造企業は、15社

今では、5社ほどしか航空機を生産してないけ
ど、戦前戦中は、どうだったのでしょうか。

民間のメーカーは、15社。国直轄の製作所2
か所の合計17社。

どうです?意外ではないでしょうか。
現代の自動車メーカーより多い数です。

これらの各社が作った機体、とても気になりま
すよね。

払暁期からの航空機を入れると長くなるので、
太平洋戦争に使われた機体を中心に調べてみま
した。

1935年制式化した機体から終戦までに生産
した航空機とメーカーを紹介します。(注:実
際、もっと古い機体もつかわれた。)
また、計画機については、省いています。

 

陸軍航空廠

1945年 キー93試作地上攻撃機(1機)

海軍航空技術廠

1936年・99式飛行艇(約20機)
1938年・零式小型水上機(126機)
1939年・空廠12試特殊飛行艇(1機)
1939年・空廠実験用飛行機(2機)
1940年・艦上爆撃機機「彗星」
・・・・・・(約2157)
1942年・空技廠特殊輸送機(12機)
1943年・陸上爆撃機「銀河」
・・・・・・(1002機)
1944年・空技廠全翼型滑空機(3機)
1944年・特別攻撃機「桜花」(850機)
1944年・夜間戦闘機「極光」(97機)
1945年・18試陸上偵察機「景雲」1機
1945年・練習爆撃機「明星」(7機)

中島飛行機

陸軍機

1935年・キー11試作戦闘機 4機試作
1936年・キー12試作戦闘機 1機試作
1937年・キー19試作重爆撃機4機試作
1937年・97式戦闘機(3386機)
1937年・97式輸送機(318機)
1938年・ 97式重爆撃機(351機)
1939年・1式戦闘機「隼」(3208機)
1939年・百式重爆撃機「呑龍」(813機)
1940年・2式戦闘機「鐘馗」(1227機)
1940年・キー58援護戦闘機 3機試作
1941年・キー80多座戦闘機 2機試作
1943年・4式戦闘機「疾風」(3500機)
1945年・キー87高高度戦闘機 1機試作
1945年・キー113試作戦闘機 1機試作
1945年・キー115特殊攻撃機「剣」
・・・・・・(105機)

海軍機

1935年・95式艦上戦闘機(221機)
1935年・93式中間練習機(5591機)
1935年・9試単座戦闘機 試作
1936年・LB-2長距離爆撃機 試作
1936年・9試艦上攻撃機 2機試作
1936年・97式艦上偵察機 2機試作
1937年・96式艦上攻撃機(200機)
1937年・97式艦上攻撃機(1250機)
1937年・11試艦上爆撃機 試作2機
1938年・12試二座水上偵察機 試作2機
1939年・零式艦上戦闘機(6546機)
1941年・2式陸偵/夜間戦闘機「月光」
・・・・・・(486機)
1941年・13試陸上攻撃機「深山」6機
1941年・96式陸上攻撃機(1048機)
1941年・零式輸送機(496機)
1941年・2式水上戦闘機(327機)
1942年・艦上攻撃機「天山」(1268機)
1042年・艦上偵察機「彩雲」(463機)
1943年・18試局地戦闘機「天雲」6機
1944年・18試陸上攻撃機「連山」4機
1945年・試作特殊攻撃機「橘花」(1機)

三菱重工業

陸軍機

1935年・キー18試作戦闘機 1機試作
1936年・97式司令部偵察機(437機)
1936年・キー33試作戦闘機 2機試作
1936年・97式重爆撃機(1713機)
1936年・97式軽爆撃機(636機)
1939年・99式襲撃機(1472機)
1939年・百式司令部偵察機(1742機)
1940年・百式輸送機(507機)
1942年・4式重爆撃機「飛龍」(606機)
1944年・キー109特殊防空戦闘機
・・・・・・22機試作
1944年・キー83遠距離戦闘機4機試作
1944年・イ号1型無線誘導弾10機試作

海軍機

1935年・9試単座戦闘機 6機試作
1935年・9試中型陸上攻撃機 21機試作
1936年・96式陸上攻撃機(615機)
1936年・97式2号艦上攻撃機(150機)
1936年・零式観測機(524機)
1937年・96式艦上戦闘機(990機)
1938年・98式陸上偵察機(50機)
1938年・11試陸上作業練習機 2機試作
1939年・12試艦上戦闘機 2機試作
1939年・零式艦上戦闘機(3880機)
1939年・12試陸上攻撃機 2機試作
1939年・1式陸上攻撃機(2416機)
1940年・1式大型陸上練習機(30機)
1942年・局地戦闘機「雷電」(938機)
1944年・17試艦上戦闘機「烈風」
・・・・・・8機試作
1945年・試作局地戦闘機「秋水」2機試作

川崎航空機工業

1935年・95式戦闘機(588機)
1936年・キー28試作戦闘機 2機試作
1936年・2式複座戦闘機「屠龍」
・・・・・・(1701機)
1937年・89式軽爆撃機(854機)
1939年・キー45複座戦闘機 11機試作
1939年・99式双発軽爆撃機(1977機)
1940年・1式貨物輸送機(121機)
1941年・キー60試作戦闘機 3機試作
1941年・3式戦闘機「飛燕」(3159機)
1942年・キー66急降下爆撃機 6機試作
1942年・キー78試作高速研究機1機試作
1943年・キー64試作高速戦闘機1機試作
1943年・キー96試作双発戦闘機3機試作
1944年・キー102戦闘/襲撃機(238機)
1944年・キー108高高度戦闘機4機試作
1945年・5式戦闘機(396機)

立川飛行機

1935年・95式3型練習機(660機)
1938年・98式直接共同偵察機(861機)
1939年・R-38練習機 2機試作
1939年・99式高等練習機(1075機)
1940年・1式双発高等練習機(1342機)
1940年・ロッキード14Y旅客輸送機(45機)
1942年・A-26長距離機(2機)
1943年・ロ式B型高高度研究機2機試作
1943年・キー70司令部偵察機3機試作
1944年・K-1層流翼研究機1機試作
1944年・キー74遠距離偵察爆撃機
・・・・・・(14機)
1944年・キー92試作大型輸送機1機試作
1945年・キー94Ⅱ試作戦闘機1機試作
1945年・キー106試作戦闘機(10機)

愛知航空機

1936年・96式艦上爆撃機(428機)
1936年・十試水上観測機 2機試作
1937年・98式水上偵察機(17機)
1937年・99式艦上爆撃機(1515機)
1938年・12試複座水上偵察機2機試作
1938年・零式水上偵察機(1423機)
1940年・2式練習用飛行艇(31機)
1942年・水上偵察機「瑞雲」(256機)
1942年・艦上攻撃機「流星」(110機)
1943年・特殊攻撃機「晴嵐」(28機)

日本飛行機

1938年・12試水上初歩練習機 2機試作
1942年・13試小型輸送機 2機試作

九州飛行機

1937年・渡辺11試水上中間練習機
・・・・・・3機試作
1938年・渡辺12試水上初歩練習機
・・・・・・3機試作
1939年・試作実験用飛行機 1機試作
1941年・2式陸上中間練習機(176機)
1941年・2式陸上初歩練習機「紅葉」
・・・・・・(277機)
1942年・2式練習用戦闘機(24機)
1942年・機上作業練習機「白菊」(798機)
1943年・陸上哨戒機「東海」(153機)
1945年・18試局地戦闘機「震電」1機試作

満州飛行機

1941年・キー71偵察襲撃機 3機試作
1942年・2式高等練習機(3710機)

日本国際航空

1943年・4式基本練習機(1030機)
1943年・4式特殊輸送機(619機)
1944年・クー7「真鶴」輸送滑空機1機試作
1944年・キー105「鵬」輸送機10機試作

日立航空機

1937年・航空研究所長距離機 1機試作

川西航空機

1936年・97式飛行艇(179機)
1937年・11試特殊水上偵察機2機試作
1938年・11試水上中間練習機3機試作
1938年・零式水上初歩練習機(15機)
1940年・97式輸送飛行艇(34機)
1940年・2式飛行艇(131機)
1942年・高速水上偵察機「紫雲」(15機)
1942年・水上戦闘機「強風」(97機)
1943年・2式輸送飛行艇「晴空」(36機)
1943年・局地戦闘機「紫電」(1007機)
1943年・局地戦闘機「紫電改」(400機)

前田航研

1941年・2式小型輸送滑空機(100機)

萱場製作所

1941年・カ号観測オートジャイロ(98機)

神戸鉄鋼

1942年・テ号観測オートジャイロ1機試作

日本小型飛行機

1942年・日本式クー11輸送滑空機3機試作

 

どうです?
えっ、こんなに飛行機を作っていたの!
そう、戦前戦後は、ごく近代なのに封印された
歴史です。しかし、記録が日本の底力を物語っ
ています。

 

太平洋戦争に使われた機体数

上記の様に、様々な工場で作られた機数は、試
作を除くと、太平洋戦争で使われたと思われる
合計では、82機種78,273機。
試作機は、65種類です。

小さな島国日本としては、なかなかの生産数で
す。太平洋戦争初戦において東南アジア一帯で
連合国を圧倒したのも頷けます。

実際、東南アジア圏では、一時的に制空権は、
日本が掌握していました。

因みに、第二次大戦中に生産した飛行機の諸外
国の事情は、どうでしょうか。

日本、58,822機
ドイツ、92,656機
イタリア、7,000機
アメリカ、261,826機

イギリスも有名なスピッドファイア戦闘機だけ
で2万機以上生産しているので、かなりの機数
を生産していると思います。

アメリカは、工業大国なだけあって、一国で、
枢軸国の生産数を大幅に上回っています。
よく、日本が、アメリカに宣戦布告したものだ
と、今思うと不思議な感じです。

もっとも、生産を増加させたのは、戦中ですか
ら、アメリカ恐るべしです。

しかし、現代日本のオートメーション化された
近代的設備も無い時代に、コツコツと機体を手
作業で組み立てていたにしては、案外すごい数
を生産したものだと感心します。

 

もっと合理化できなかったのか

太平洋戦争では、試作機を含めると147種類
もの航空機を作った日本。

飛行機は、自動車や戦車と違い、3次元を飛ぶ
ので、設計図も膨大な量です。現代みたいにコ
ンピューターの無い時代、全て手書きです。

それに、飛行機の製造は、素材や装備品など裾
野は多岐に渡るビッグイベントです。知恵もと
もかく膨大な人手がかかります。

なぜ、日本の航空機がそんなに多くなったかと
いえば、陸軍と海軍が、それぞれ様々な要求で
別々に情報を共有せずに飛行機を発注していた
からです。

例えば、ゼロ戦と1式戦闘機「隼」。
素人目には、区別がつかない航空機です。
方や、航空母艦から発艦する艦載機。方や陸上
の飛行場から離陸する戦闘機ですが、ゼロ戦も
多くは、陸上の基地で作戦をしていました。

性能的には、ゼロ戦のほうが少し上です。

なら、これ一本に絞って、着艦フックを装備し
ない陸上型などを作って、対応すれば無駄な開
発費を削減できます。イギリスが、スピットフ
ァイア一本に絞ったみたいにです。
(他の戦闘機もありますけど)

爆撃機なども一緒で、陸海共同で使える航空機
は、沢山ありました。

装備品もそうです。例えば、機関銃。
同じヴィッカース社のライセンス品なんですが
使う弾丸の互換性も無く、ライセンス料は、陸
海両方が別々に支払っていました。

飛ばすための燃料のオクタン価まで別というあ
りさまです。

もはや国家総力戦とは言えません。

どの国も、陸軍と海軍は、仲が悪かったといい
ますが、小さな日本でそれをやると弊害ばかり
が露呈します。

日本には、意外と多くの航空機があったのは、
先に述べたのですが、陸海共同で事に当たれば
もっと多くの航空機を生産できたはずです。

いたずらに、無駄な試作機を沢山作るより、頑
丈で落とされにくい航空機を合理的に生産すれ
ば、戦況はもっと違ったものになったかもしれ
ません。

 

まとめ

燃料の質(低オクタン価)に悩まされ、工業品
の標準化もなされない中で、高性能な航空機を
生み出した日本。

空力学的には、優れていてもオクタン価の低い
燃料では、本来の性能が発揮出来ません。

米軍が日本の航空機を140オクタンの燃料と
アメリカ製オイル、点火プラグでテスト飛行し
た結果、当時最新鋭のP-51マスタングDに
匹敵する速度を出す戦闘機もありました。

戦後、GHQの命令で、航空機生産を中止させ
られ、日本は、蓄積したノウハウを活かせなく
なりました。

しかし、航空機生産で培った技術は、やがて自
動車生産に転化していきます。航空機のエンジ
ンに比べれば自動車のエンジンなど簡単なもの
です。

航空機の自前生産は、戦後有名なYS-11や
自衛隊のF-1支援戦闘機と、細々と開発され
ましたが、自衛隊の航空機は、ほとんどがライ
センス生産。旅客機にいたっては、ほぼ輸入と
いう状態です。

ロケットだって作れる日本です。再び、日本の
航空機産業も発展出来るはずです。

今、次世代の戦闘機が開発されています。
令和のゼロ戦が誕生するのを楽しみにしたいも
のです。