日本陸軍、92式重機関銃は、遠距離ショットガン
旧日本陸軍といえば、バンザイ突撃など白兵戦
重視で機関銃が少ない印象を持つ人が多いと思
いますが、実際は、機関銃も色々装備する近代
的な陸軍でした。
その証拠に太平洋戦争開戦時には、東南アジア
で、米英の陸軍を圧倒しています。
ただ、用兵思想が白兵戦主体だったので、イメ
ージが、それに定着してしまい、米軍などに戦
争終盤で、撃ち負かされた感じだけを定着させ
てしまいました。
今回は、そんな日本軍の装備で、米軍さえ恐れ
を抱いた重機関銃のお話です。
機関銃の種類
機関銃といっても、種類は、色々あります。
三脚に固定された重機関銃。二脚で歩兵が持ち
運べる軽機関銃。飛行機に固定する固定式機関
銃。同じく飛行機でも、後部座席で後ろの敵機
を撃つ旋回式機関銃。そして、拳銃弾を使用す
る小型の短機関銃と、種類や用途も様々です。
発射方式も、反動利用式と燃焼ガス利用式と大
きく別けても二種類あります。
そして、重機関銃は、長時間射撃できるように
頑丈に作られています。
特に、銃身は、長時間射撃に耐えられる様に、
丈夫で重いもので、中には、水冷式の機関銃も
ありました。
ドイツのMG34やMG42の様に、三脚に装
備すれば、そのまま重機関銃になる汎用性のあ
る機関銃もあります。
そして、弾丸の装填方法も様々で、よく見る機
関銃の横にジャラッと弾丸が垂れ下がるベルト
給弾方式や、保弾板という板に弾丸をセットし
て撃つ方式、弾倉方式と様々です。
世界の潮流としては、陸軍向けの機関銃と航空
機用の機関銃は、機構は、同じでも別物で、陸
軍では、特に陸戦向けに開発されていました。
それは、日本も同じです。
短機関銃については、日本海軍陸戦隊が、上海
事変で、ドイツから輸入したベルグマン短機関
銃を使用していますが、なにせ弾薬も輸入なの
で、太平洋戦争では、ほぼ使用されていません
でした。
日本独自の100式短機関銃というのもありま
したが、あまり使われななかった様です。
欧米は、塹壕戦や市街戦で短機関銃を多用して
いたのと対照的です。
終戦までに約2万丁が納入されたが、一部の空
挺隊で使用された以外は、どう配備されたか解
りません。
もし、日本でも、短機関銃を装備していれば、
南方のジャングル戦で強い火力を発揮できたの
にと悔やまれます。
日本の重機関銃の歴史
日本陸軍といえば、銃剣突撃の印象ですが、早
くは明治23年に英国ヴィッカース社からマキ
シム機関銃を輸入しています。
それを模倣しようとしたのですが、当時の日本
の工業力では、その機構「反動利用式トグル・
ロック」という精密な構造は、真似できません
でした。
模倣すらできなかったのです。
ゲージやマイクロメーターを用いる精密な工業
技術は、このころは無理だったので、より甘い
製造公差でも作動するフランス、ホチキス社の
機関銃に目をつけて模倣します。
これが、保式機関銃、後の38式機関銃となり
ます。保式機関銃は、日露戦争でも使用されて
一部で活躍しました。
そして、ホチキス機関銃を参考に新たな国産機
関銃として、大正3年に正式採用されたのが、
3年式重機関銃です。
この機関銃は、38式歩兵銃と同じ6.5ミリ
口径で開発されました。
最大の特徴は、特殊な三脚。
三脚の脚部に専用の棒を差し込み重機関銃ごと
4人で移動が可能でした。
そして、後の92式重機関銃にも受け継がれる
ワンタッチで射線を固定できる「緊定装置」で
す。これは、日本独自の発想です。
後程、その機構は、書きますが、これにより遠
距離での命中率が向上しています。
やがて、重機関銃に小口径の6.5ミリ弾では
威力不足と、口径を7.7ミリにした92式重
機関銃が誕生します。
改良点は、口径だけでなく、3年式で引き金式
だったものを冬季の手袋を嵌めた状態でも容易
に射撃できるように押し鉄式に改め、グリップ
も銃本体の下にハの字に取り付け、射手が頭を
出さなくても射撃出来る様にしました。
92式7.7ミリ実包は、初速730m~80
0m。参考にした英国303ブリテッシュ弾よ
り弾頭重量が重く、横風に強く、最大射程距離
は、4300mに及びました。
そして、遠距離での命中精度が高く、全身暴露
目標にたいしては、700mでもよく当たった
とされています。
毎分450発の遅い発射速度と弾丸の威力に対
して機銃の重さが重かったので命中精度が高く
なった様です。
しかし、日本にとって不幸なことに、重機や軽
機関銃の7.7ミリ化に合わせて小銃(歩兵銃)
の口径増大をしたのですが、この小銃用に専用
の弱装弾を開発してしまいました。
日本陸軍は、38式歩兵銃用の38式実包。9
6式軽機関銃用の38式減装弾。92式重機関
銃用の92式実包。97式車載機関銃用の97
式実包。99式小銃用の99式普通実包と、主
要な弾薬だけで5種類が混在することになって
しまいました。
それだけでなく、日本は、海軍の航空機用の9
7式固定機関銃用のの303ブリテッシュ弾、
陸軍の航空機用の89式実包。陸海軍共に使用
した後部旋回機銃用のドイツ製7.92ミリ弾
と、機銃ごとに多種多様な弾丸を国内生産だけ
でなく、ライセンス生産もしていました。
見た目は、ほぼ一緒で、微妙な差しかありませ
んでした。
前線の補給に混乱をきたすのは必至です。
それだけでなく、限られた生産設備と資源を無
駄にする多種多様生産は、合理性に欠き、戦争
時には、いらぬ混乱を生じさせました。
そして、99式小銃用に反動を小さくするため
に威力を落とした99式実包を使う、世界でも
珍しい低威力の1式重機関銃が生まれます。
ただ、古い3年式重機関銃も92式重機関銃も
生産が続けられていた!ので、新型の改悪した
1式重機関銃生産数は、幸い少数にとどまった
様です。
ウッドペッカーの愛称?で恐れられた92式重機関銃
縦割り行政で、陸海軍別々の弾薬生産や機関銃
の開発など、日本の機関銃は、多様な種類を生
み出しました。
その中で、92式重機関銃は、敵国に恐れられ
る性能を発揮しました。
92式重機関銃の運用は、1個歩兵大隊につき
1個機関銃中隊が配属されました。
その内容は、機関銃一挺につき12名と馬2頭
で1戦銃分隊とし、4個分隊と弾薬分隊(11
名、馬8頭)で小隊を編成します。
それが3個で中隊を編制します。
それを別けると、歩兵一個小隊あたりに一挺ず
つ重機関銃を配備できる様になりますが、重機
関銃は、その時々の戦況で配備が異なるので、
随時その通りにには、なりませんでした。
弾薬専門の分隊を持つので、一挺あたりの弾薬
は、9600発もあります。
同時期、ドイツの機関銃は、1挺あたり345
0発だったので、日本陸軍の重機関銃の継戦能
力は、高いものでした。
92式重機関銃は、支那事変で初めて実戦に投
入され、ノモンハン事件、太平洋戦争と長く戦
場で使用されました。
中国戦線では、92式重機関銃は、よく活躍し
て、重包囲にあっても重機2挺を装備して交互
に射撃させた歩兵中隊長は、安心して戦えたと
記録されています。
また、中国軍の兵士は、92式重機関銃の発射
音を聞くと恐れて逃げたといいます。
(私の御爺ちゃんの話しです)
ドッ、ドッ、ドッ、ドッと、重低音で遅い重機
の発射音を聞くと、味方の兵士は、安心できた
と言っていました。
そして、日米の激戦でも92式重機関銃は、そ
の威力を存分に発揮しました。
遅い発射速度からウッドペッカー(きつつき)
と呼ばれ、その命中精度に恐れをなしました。
その命中精度を支えたのは、特殊な三脚です。
ガッチリした頑丈な三脚は、重い重機関銃をし
っかり安定させました。
その最大の特徴は「緊定装置」といわれる照準
固定装置です。
これは、目標に狙いを定めると「緊定装置」で
重機を固定して、一連射します。すると、理論
上は、一点に弾丸が集中するはずなのですが、
弾丸一発ごとに微妙な装薬量の誤差があり、遠
距離では、バラツキが生じます。
そのため、遠距離の目標を包み込む様に弾丸が
飛翔して、その数発が命中するという遠距離シ
ョットガンの様な現象が起こります。
こうして、92式重機関銃は、遠距離での恐る
べき命中精度を発揮していました。
また、発射速度が遅いので落ち着いて目標を射
撃でき、無駄ダマを最小にできました。
撃たれる側にしてみれば、5~6発の射撃で次
々と味方が倒されていくシーンは、驚異的で恐
ろしいものだったでしょう。
世界の常識では、機関銃は、弾幕を張り敵を撃
ち負かすもので、狙いを付けて正確に撃つもの
では、ありませんでした。
狙いと言えば、92式重機関銃には、専用の倍
率6倍のスコープも用意されており、より正確
な射撃が可能でした。
これらは、敵を恐れさせる一方で、万年弾丸不
足の日本陸軍の貧乏性からくる現象でしたが、
そのおかげで世界一命中精度の高い重機関銃が
生まれたのは、皮肉なものです。
因みに、太平洋戦争では、古い38式歩兵銃も
終戦まで使用されましたが、この銃も銃の重さ
に対して小口径で高初速のため、非常に反動が
小さく命中率が高い小銃でした。
日本陸軍は、弾丸をばらまくのは、厳禁です。
正確に命中させなさいと、教育していました。
太平洋戦争も終盤、日本軍も圧倒的兵力の米軍
に押され気味でも、ペリリュー島、硫黄島、沖
縄の戦闘では、その高い命中精度で米軍にも多
大な出血を伴いました。
特に、バンザイ突撃をやめて防禦戦に徹した日
本軍は、強靭な忍耐力と徹底したカモフラージ
ュを施した巧妙な防禦陣地で、徹底抗戦。
硫黄島では、初めてアメリカ軍のほうが死傷者
が多いという戦果も挙げています。
もし日本の工業力が、もっと高ければ
歴史にイフは、いけないといいますが、もしも
を考えるのは後世のやるべきことです。
まず、日本陸軍の欠点は、白兵戦に頼り切って
いたことです。
日露戦争でも、砲撃や機関銃の火力が威力を発
揮するのを経験しているのに、昭和に入っても
白兵戦、夜間切り込みを奨励していたのは、精
神論以外の何物でもありませんでした。
とにかく、弾丸がもったいない。兵士の命を軽
視した戦術です。
日本は、当時貧乏国で、精密工業も発展途上だ
ったので仕方ないのですが、白兵戦が、近代戦
では、意味のない事だとは、頭では知っていま
した。
だからこそ、日本陸軍は、歩兵にも戦車にも使
用できるドイツみたいな汎用機関銃を作るべき
でした。
試作や多種多様な銃を作るより、1種類に絞っ
てバリエーションをつければ、より多くの機関
銃を単一ラインで合理的に生産でき、弾丸も多
種類ではなく統一してしまえば、万年弾丸不足
も解消出来たはずです。
そのためには、まず工業力をドイツほどとは言
わないけど、向上させ、部品の統一、隙間ゲー
ジやマイクロメーターの普及を徹底すれば、生
産性は、大きく伸びたはずです。
しかも、工業力の精度が上がれば、歩兵用の自
動小銃も量産が可能になります。
自動小銃は、実際に試作されていたので、それ
を量産できる能力が不足していました。
中国の挑発に乗らずに日中戦争をやらなければ
無駄な戦費も避けられ、軍の近代化ができたは
ずです。
中国では、重要拠点だけを徹底防衛し、決して
内陸部に深追いしないことを徹底するべきでし
た。
92式重機関銃は、熟練の職人が組み立ててい
たので、精度が高く、故障も少なかったといい
ます。
工業力を先に高く育てていれば、より精度が高
く無故障の重機関銃が作れたはずです。軽機関
銃にもそれは言えます。
元々、日本人は職人気質です。
それは、兵士も同じで、高性能な武器を配備し
正しい戦術で戦えば、悲惨な玉砕やバンザイ突
撃で無駄な戦死者を出さずに済んだばずです。
そして、無謀な中国との戦争をしなければ、熟
練の工員を戦場に送らずに、貴重な工業力を温
存できたと思われます。
現に、太平洋戦争末期の兵器は、未熟な工員の
製造だったので、精度はおろか本来の性能を発
揮できませんでした。
近代戦の要は、工業力です。そして、合理化し
た生産ラインです。それらが揃うことで、前線
の兵士に潤沢に優秀な兵器や弾丸を送ることが
出来ます。
少資源、低工業力の日本ですが、92式重機関
銃は、総生産数45000挺。もし、工業力を
もっと重視していれば、その倍は、生産できた
のではないでしょうか。
日本は、海軍では戦艦大和を建造できるほどの
重工業力を有していました。
陸海が共同で、兵器の開発や整備に積極的にな
れば、機関銃ごときは、もっと生産できたばず
です。
それに、歩兵用の小銃も自動化し、少ない人数
でも最大の火力を発揮できたと思います。
そうすれば、太平洋戦争では、もっとマシな戦
いが出来たのではないかと思います。
まとめ
92式重機関銃は、当時の世界の機関銃と比べ
ても、決して劣るものではなく、むしろ高性能
な機関銃でした。
これをもっと有効に活用する戦術をとれば、歩
兵の損害も、もっと低く抑えられたと思われま
す。
どんなに兵器が優秀でも用兵側の思想で、活き
るかどうかが、決まります。
日本陸軍は、太平洋戦争終盤で多大な損害を受
けながら学習して防禦戦に徹する方法を身に着
け米軍を苦しめました。
硫黄島や沖縄では、米軍に中隊(200名前後)
単位での全滅を与えるほどの戦いぶりを見せて
います。
もう少し早く戦い方を変えていれば、要らぬ犠
牲を減らせたのではと悔やまれます。