米国が戦艦大和の存在を知っていたら太平洋戦争は、おきなかった?

戦艦大和という時代

公試排水量6万9000トン。主砲46センチ
砲3連装3基9門。最大射程約42キロ。装甲
最厚部650ミリ。「大和」は、世界最大の戦
艦です。

アメリアカのペリーの黒船に驚いてから、僅か
88年で、日本は、世界最大、最強の戦艦を自
らの力で建造できるまでになっていました。

始めは、オランダやイギリスに建造方法を学ん
だり軍艦を発注して輸入したりと、次第に技術
力を必死に高めていきました。

そして、鋼鉄艦同士の海戦を清国と世界で初め
て行い圧勝するまでに成長しました。

その後、日露戦争の日本海海戦で、日本がロシ
アのバルチック艦隊を撃破してから、世界は、
戦艦の大型化、主砲の大口径化に進みます。
日本海海戦で日本が強国ロシアを破ったことは
列強各国に強い印象を与えました。

大艦巨砲主義です。

海洋国家の日本は、世界の建艦競争に負ける訳
には、いきません。
イギリスやアメリカ、ドイツ、フランスと次々
と大型の戦艦を建造する中、日本も負けじと大
型戦艦をイギリスに発注しながら、日本でも建
造出来る様に学んでいきました。

しかし、軍艦の建造には、多額の費用がかかり
ます。当時の日本は、貧しい島国です。でも、
列強国に追いつけとばかりに頑張ります。

そして超弩級(ちょうどきゅう)戦艦「金剛」
をイギリスに発注。その2~4番艦、比叡、榛
名、霧島は、設計図を基に日本で建造されまし
た。金剛型の戦艦は、排水量3万1980トン
主砲36センチ砲8門です。

その後、金剛型よりひとまわり大きな「扶桑」
「山城」を建造。排水量3万4700トン、主
砲36センチ砲12門。続いて、防御力を強化
した「伊勢」と「日向」を建造します。

そして、ついに排水量3万9000トン、主砲
41センチ砲8門という大型艦を建造します。
戦艦「長門」と「陸奥」です。

この当時は、海軍軍縮条約で、40センチ以上
の口径の主砲を持つ戦艦に制限がかけられ、世
界で7隻しかなく、そのうちの2隻が、日本で
した。なので、これらの戦艦は、ビッグセブン
と呼ばれています。

日米開戦の前、ルーズベルト大統領が海軍長官
に「日本に勝てるか」という質問にたいして、
「日本には長門がいます。」という答えが、ビ
ッグセブンの存在感を物語っています。

ん。長門が居るから楽勝では無いという見解。
これが、もし「大和」だったら・・・

大和は、海軍軍縮条約の期限切れの1936年
の翌年11月に起工され、1941年12月に
試運転と射撃テストを行い竣工し海軍に引き渡
らせました。

この12月は、アメリカに宣戦布告し真珠湾を
奇襲したのは、大和が試験射撃を行った翌日の
ことでした。

まるで、大和の完成を待ったかのような開戦で
した。

 

当時超極秘だった大和の建造

大和は、当時としては最先端のブロック工法で
建造されました。現在の貨物船やタンカーも同
じ工法で建造されています。

起工から竣工まで4年と一か月。

巨大戦艦としては、早い建造日数です。

総延人員が300万人以上にも達する大プロジ
ェクトでした。

大和は、広島県の呉海軍工廠で建造されました
が、建造するドッグは、屋根で覆い隠し見えな
い様に建造されました。

この当時、海軍条約の期限切れの後は、世界各
国が、新造戦艦を建艦していました。

どのくらいの大きさにするか、主砲の口径は、
など、各国が情報戦を展開します。

アメリカも、日本が新型戦艦を建造しているの
は、判ってはいましたが、その全様は未知数で
した。

大和の情報は、徹底的に秘匿され、その実態を
アメリカが知ったのは、戦後のことです。

アメリカの戦艦(船全般)は、パナマ運河の通
過を考慮して、全福が33メートル以内と抑え
られていました(大和は38メートル)

その点は、日本も情報を掴んでいたので、アメ
リカが建造する戦艦の主砲は、口径16インチ
と推測できていました。

そこで、日本は、それを遥かに上回る18イン
チ(46センチ)砲の搭載を決定したのです。

つまり、アメリカの戦艦の射程外から砲撃でき
るアウトレンジ戦法です。

戦艦は、自艦の主砲の砲撃に耐えられる装甲を
装備するのが常識でした。なので、大和の主砲
は、アメリカの戦艦を打ち抜け、逆にアメリカ
の戦艦は、大和を打ち抜けないということにな
ります。

もっとも近距離に接近すれば、打ち抜けるので
すが、接近する前に、護衛の巡洋艦や駆逐艦の
魚雷攻撃を浴びてしまいます。

この当時は、先に述べたように大艦巨砲主義で
す。もし、アメリカが、大和の存在を正確に掴
んでいれば、より大型で強力な戦艦を建造する
可能性がありました。
(パナマ運河を通過できず、南米先端を回る必
要があるけど)

大型戦艦を建造するのは、たとえ工業大国のア
メリカでも3~4年を要します。
大和の存在に気が付いて建造を始めても、先に
作った側がリードできます。

それに、アメリカが巨艦を建造しても、地政学
的な不利が生じます。

つまり、日本が、どんな戦艦を建造するのかは
アメリカにとって最大の関心事だったのです。

 

世界最大の艦載砲46センチ砲

大和の主砲は、46センチ9門。その一本の重
量が、165トン。9門で1485トン。

それを3連装の砲塔に納め分厚い装甲に守られ
ていました。砲塔数は、3基です。
その1基あたりの重量が2760トンに及び、
これは、駆逐艦を3隻船の上に乗せたのと同じ
重量でした。

それを動かす装置は、水圧ポンプです。
(一部は、電動機械でした)
これは、スイスのブラウン・ボバリー社製の物
を改良したものでした。
アメリカの戦艦は、全て電動でした。因みに、
アメリカの技師に大和を作れるかといった時、
このポンプが作れるかは、自信が無いと言わせ
たほどの高度な技術でした。

一発約1.5トンの砲弾(徹甲弾)は、砲弾庫
から、装填まで全て自動でした。
巨大な弾丸が、機械式に自動で装填されていく
様は、とてもダイナミックで迫力があります。

発射するための火薬は、火薬缶からシルクで包
まれた「装薬」を火災を防ぐ防炎筒の中を運薬
盤に乗せられて砲塔内に自動で運びます。

砲弾は、仰角45度で発射された場合、最大高
度1万1900メートルに達し、4万2000
メートル離れた目標にマッハ2.3で飛行して
90秒で到達します。

その貫通力は、30キロで40センチの装甲版
を貫く威力がありました。連合国側の全ての戦
艦を打ち抜くことが出来ました。

大和に搭載された、射撃装置は、艦橋の上部に
ある98式方位盤(狙いをつける装置)は、3
0倍の望遠鏡で、約32000メートルの水平
線まで見渡せました。

この照準装置で目標を追尾すると、電気信号で
艦内奥の機械式計算機にデータが送られ、そこ
で計算された情報が、各砲塔に電気信号で送ら
れます。
入力は、電動又は手動。計算は、機械式又は、
電動で行われました。

砲塔には、旋回と俯角(砲身の角度)のメータ
ーがあり、発令所からの電気信号で針が動き、
砲手は、その動きに追針を合わせます。そして
針が、ピッタリ一致すると、艦橋上部の射撃指
揮所で引き金を引くと、9門の46センチ砲が
一斉に発射されます。

この時、3連装の主砲は、爆風の影響を与えな
い様に、左右の砲と真ん中の砲で0.3秒の時
間差で発射されました。

この発射までに必要な情報は、次の通りです。

1.自針(自艦の針路)
2.自速(自艦の速力)
3.距離(目標までの距離)
4.方向角(艦首に対する目標の方向)
5.的針(目標の針路)
6.的速(目標の速力)
7.旋回(左右動揺)
8.俯仰(上下動揺)
9.弾種(砲弾の種類)
10.薬種(発射火薬の種類)
11.薬量(発射火薬の重量)
12.薬温(発射火薬の温度)
13.薬齢(発射火薬の貯蔵期間)
14.砲齢(砲身の発射回数)
15.弾道付近の風向
16.弾道付近の風速
17.弾道付近の気温
18.弾道付近の気圧
19.弾道付近の地球の自転速度
20.潜差(方位盤と砲塔の高さの差)
21.集中角(方位盤と砲塔の水平距離の差)

これらの情報を、自分も動き、相手も動いてい
る中で素早く行うのは、至難の業です。

砲撃に関わるメンバー多数の息が合わないと有
効な射撃は難しく、高い練度が必要でした。

こうした情報を得て発射に至るのですが、艦外
では、猛烈な爆風が吹き荒れる中で、砲塔内は
以外にも静かだったといいます。

 

大和の情報を意図的に米軍に漏らしていたら

巨大戦艦大和の全容は、全て記載すると膨大な
情報になるので、主要な部分のみ抜粋して書き
ました。

ここからは、歴史のイフです。

高い秘匿性に保たれて、ひっそりとデビューし
た大和ですが、もし、これを意図的に盛大な観
艦式でもやって敵のスパイの目に着くように、
いや、大々的に宣伝したらどうなっていたでし
ょうか。

その上、2番艦、3番艦(3番艦は、途中で空
母に改装された)も建造中で、竣工も間近だと
言いふらしたらどうでしょうか。

時代は、飛行機の進歩が顕著とはいえ、アメリ
カもイギリスも大艦巨砲主義の国です。

むろん、アメリカもイギリスも新型戦艦を建造
したり竣工するのですが、大和の情報が、筒抜
けになれば、設計や計画を見直す必要に迫られ
ます。

それは、1年や2年といったスパンでは、修整
できない大事です。

太平洋戦争は、海軍抜きでは考えられない戦争
でした。海軍は、歴史的に不利な戦いは、避け
る傾向にあります。

軍は、何でも秘密にしたがります。
しかし、意図的に情報を開示すれば、それが抑
止力になり戦争を避けることができます。

日本海軍には、大和だけでなく当時画期的で、
とても威力のある93式酸素魚雷という、現代
で言えば長距離対艦ミサイルに匹敵するような
秘密兵器もありました。

列強の魚雷の射程距離が8000メートル前後
だったのに対し、93式酸素魚雷は、36ノッ
トで40キロ。48ノットで20キロという当
時では考えられない射程距離でした。

その上、燃料の酸化剤に空気の代わりに酸素を
用いたために、航跡(泡の線)が見えず、その
上に炸薬量も増大出来る利点がありました。

史実のガダルカナルの攻防戦では、この見えな
い長射程大破壊力の魚雷に米軍は、非常に警戒
したものです。

こうした情報も米軍の足を止めるには、非常に
効果的だったと思われます。

もし、日本がハワイ真珠湾を奇襲しなくても、
日米開戦となれば、ハワイから艦隊が出撃して
きて、小笠原諸島近海で海戦が生じる可能性は
充分にありました。

この場合、まず、駆逐艦や巡洋艦が、酸素魚雷
で攻撃し、続いて36センチ砲クラスの戦艦が
砲撃。その向こうから長門、陸奥が、41セン
チ砲で砲撃。そして、更にその奥から大和が4
6センチ砲の巨弾を浴びせたら・・・

恐らく、日本軍の練度の高さと兵器の優劣から
米太平洋艦隊は、壊滅的な被害を蒙るのは、充
分に予想できます。

このことは、米軍も、先の情報を早く察知して
いたら、戦法を変更するか、開戦しないか、開
戦を引き延ばすしかありません。

恐らく、史実では中止になった大型戦艦モンタ
ナ級を日本を上回る数で、急きょ建造するのは
間違いありません。

しかし、日本は、このころ既に戦争は、航空戦
主体になることを予想しています。

大型戦艦を建造しても、日本の航空機の餌食に
なるのは、目に見えています。

実際、マレー沖で、イギリスの最新鋭の戦艦プ
リンス・オブ・ウェールズは、日本の陸上攻撃
機に撃沈され、チャーチル首相は、このことを
大戦中で最もショッキングな出来事のひとつと
述べているくらい衝撃的でした。

それに、アメリアカと言えば、大量の航空母艦
で機動部隊を編制して大量の航空機で、日本を
圧倒したと思いがちですが、それは、日本が先
にハワイ奇襲で空母機動部隊の威力を示したか
ら、それを真似て急きょ空母を増産したという
のが真相です。

大和の存在を知ったら、空母より、より強力な
新鋭戦艦の建造に力を入れたはずです。

なので、大和の存在を知らしめていれば、抑止
力となり、日米開戦は、おきなかったか、遅れ
た可能性が高いと思われます。

 

まとめ

そもそも、日米開戦は、日本にとっては飲む事
のできない条件を盛り込んだハルノートが原因
とされているのですが、そうした挑発的な最後
通牒も、大和という強大な存在を知っていれば
なかったかもしれません。

日本は、中国との戦争(事変)で、アメリカか
ら石油製品や鉄の輸入を停止されました。
もう一つの日米開戦の理由は、石油を止められ
た事とされていますが、東南アジアに石油の産
地があり、それを盗る方針を固めたなら、なに
も米国に宣戦布告しなくても、ボルネオ島やス
マトラ島を植民地にしていたオランダに宣戦布
告すればよかったと思います。

そして、大和は、インド洋に進出して英国に対
して通商破壊を行えば、英国も困り、さらに、
北アフリカで中東をめぐり英国と戦っていたド
イツ軍のよい後方支援になり、中東の石油も手
にできたかもしれません。

大和の存在は、当時それだけの核兵器に匹敵す
る抑止力を持っていたのです。