日本軍と機関銃
近代戦では、欠かせない存在の機関銃。
機関銃の登場で、世界の戦争の戦略が大きく
変わりました。
それは、日本でも同じことでした。
今回は、戦前の日本陸海軍が製造した機関銃
を取り上げてみたいと思います。
機関銃とは
機関銃とは、弾薬の発する反動エネルギーや
ガス圧を利用して連続的に弾丸を発射する銃
器のことです。
機関銃の初期の物は、反動利用式が採用され
ましたが、仕組みが複雑で且、工作精度が要
求されるものでした。
反動利用の機関銃は、現在でも使用されてい
ます。
ガス圧利用の機関銃は、若干甘い工作精度で
も作動し、量産がしやすいものでした。
こちらも現代の自動小銃のほとんどで採用さ
れている方式です。
日本陸軍の主要な機関銃は、このガス圧利用
機構のものでした。
機関銃には、三脚に固定した重機関銃。歩兵
が持ち運べる二脚付きの軽機関銃。拳銃弾を
使用する小型の短機関銃。航空機の機首や翼
に搭載する固定機関銃。航空機の後部などに
搭載する旋回機銃。艦載用の対空機銃などに
別けられます。
各国とも小口径を機関銃。20ミリ以上の口
径を機関砲などと区別します。
日本海軍は、大口径でも機銃と呼んでいまし
た。
大口径機関砲の特色は、弾頭に爆薬が装填さ
れていることです。目標に命中すると爆発し
て目標を破壊します。
機関銃は、初期の頃は、陸戦で使用されてい
ましたけど時代と共に兵器も新しい物が登場
し、航空機や戦車、そして艦船の対空用と幅
広く機関銃が使用されました。
現代では、電動で毎分6000発のバルカン
砲やガトリング砲も使用されています。
大規模に機関銃が使われたのは、日露戦争で
す。堅固な要塞に立て籠ったロシア軍のマキ
シム機関銃により歩兵の突撃は、死屍累々で
した。
対する日本軍もフランスのホチキス社のライ
センス生産の保式機関銃で、ロシア軍を苦し
めました。一説では、機関銃の装備数は、日
本のほうが多かったそうです。
世界の観戦武官は、歩兵戦闘の戦術の変化を
目の当たりにして、それぞれ機関銃の開発に
力を入れます。
第一次大戦では、多数の機関銃が使用されて
塹壕から出れない膠着戦が続きました。
機関銃から吐き出される膨大な量の薬莢や軽
機関銃の弾倉に、貧乏国日本は、近代戦の物
量の激しさに危機感を抱きました。
そこで日本は、重機関銃の三脚を工夫し発射
速度を抑え命中率を高める工夫で銃弾の浪費
を防ぐ独自の進化をします。
また、重機関銃や軽機関銃に銃眼鏡(スコー
プ)を装備して精密射撃を可能にしました。
これらは、弾幕を張る欧米の考えとは、違う
日本独自のものでした。
その命中精度は、中国軍や米軍さえ恐怖する
精度だったといいます。
日本陸海軍の機関銃
日本は、初期の頃、外国の機関銃を輸入して
少数を配備したり艦船に装備していました。
日露戦争で使用した保式機関銃は、フランス
のホチキス社のライセンス生産でした。
反動利用のマキシム機関銃をコピーしようと
試みたのですが、工作精度が追いつけず上手
くいかなかったようです。
その後、日本独自の機関銃の開発が始まるの
ですが、精密機械の機関銃は、当時の日本で
は、難しいものでした。
しかし兵器は、国産という指針により、苦難
を乗り越えて国産化に成功します。
そして、外国の機関銃を参考品に輸入しては
コピーして、中には、ライセンス生産したり
日本独自に改良したりしました。
下に日露戦争から太平洋戦争まで日本が制式
化した機関銃の一覧を添付します。
(ライセンス生産も含む)
尚、輸入銃、試作品は、表記していません。
また、中国軍からの鹵獲品ですが、銃弾をコ
ピー生産し大量に使用した機関銃も表中に含
みました(チ式七・九粍軽機関銃)
また拳銃弾を使用する短機関銃は、含んでい
ません。
使用弾薬で外来の物は、ライセンス生産した
国産の物です。
文字が緑が陸軍。青が海軍です。
どうですか?当時は、省資源貧乏国の日本で
すが、これだけ多くの機関銃を開発し制式化
して配備していたとは、驚きです。
使用弾薬の中に7.7ミリ×58SRとか、
7.7ミリ×56Rとかの表記が、あります
が、これは、薬莢の形状を示す物で、口径が
同じでも、これが違うと使用できません。
後ほど詳しく書きますけど、陸軍と海軍で、
口径は、同じでも違う弾薬を使っていたとい
うことです。
そして機関銃の数だけ別々の弾薬を開発又は
ライセンス生産していたという事です。
又、機関銃には、普通実包以外に徹甲弾や曳
光弾、焼夷弾、空砲など多種の弾薬があり、
それぞれの機関銃様にそうした弾薬も別々に
用意したので種類は、膨大な量です。
なんとなく日本陸軍は、歩兵のバンザイ突撃
で負けた印象を持つ人が多いですが、それな
りの世界から見ても優秀な機関銃を装備して
いたのが解ります。
歩兵戦術が、日露戦争以来の突撃重視で、特
に夜間は、発砲せずに接近するので、せっか
く優秀な機関銃を装備していても火力を発揮
できませんでした。
「日本の機関銃なんて」と思う人も少なくな
いと思いますが、時代が進むにつれて工作精
度も向上し、その威力を発揮しています。
ただ惜しいのは、戦中になると良質な資材を
輸入できなくなり機関銃の品質維持にも苦労
したと言われます。
しかし、機関銃は、精密機械という概念が浸
透していたので、太平洋戦争末期までその精
度は、維持されたようです。
日本の問題点
先の表で見た通り、日本軍は、多種類の機関
銃を装備していたことが解りました。
しかし「ん?」と、疑問を持った人も居るの
ではないでしょうか。
例えば、7.7ミリ固定機関銃。
陸軍と海軍で別々な物が生産されました。
しかし、これは、どちらもイギリスのヴィッ
カース社のライセンス生産品です。
多少仕様は、異なりますけど同じものです。
しかし、表で見る通り、使用弾薬が違うので
弾薬の互換性は、ありません。
因みにヴィッカース社へのライセンス料は、
それぞれ払っています。
こうしたことは、航空機用のエンジンでも発
生して、同じダイムラーベンツの液冷エンジ
ンを陸海軍が別々にライセンス料を払ったと
いうことです。
日本国として買えばライセンス料は、一契約
で済むのにアドルフ・ヒトラーも「日本は、
陸軍と海軍の仲が悪いのか?」と言わせたほ
どで、メーカーも道徳上良くないと一旦保留
にしたほど奇異な行動でした。
同じく、20ミリ口径の機関銃(砲)も陸軍
と海軍では、別々な物が作られています。
そして、機関銃の数だけ弾薬もたくさんあり
ます。口径が違うものは、ともかく同口径の
機関銃で弾薬が異なるということは、それだ
け生産ラインも必要になります。
工業力が乏しく省資源の日本では、これは、
致命的なことです。
前線の補給も複雑化して弊害のほうが多くて
実際に混乱が生じました。
欧米では、歩兵が使う銃弾は、大口径重機関
銃を除けば、小銃も重機関銃も軽機関銃も同
一の弾薬を使用しています。
工業大国の米国でさえ、小中口径は、ブロー
ニングに統一。20ミリは、エリコンに統一
しています。故に少種類の生産ラインで大量
生産が可能だったのです。
しかし、日本陸軍は、重機関銃は、それ専用
の銃弾。軽機関銃も同様。一般歩兵用の小銃
弾も別と統一性がありませんでした。
ただ、歩兵用の6.5ミリ弾は、体格の小さ
い日本人には、撃ちやすく反動も小さいので
命中率も高く、現代の5.56ミリ弾の先を
行くベストな選択だったと思います。
歩兵用には、小口径でも十分な殺傷力があり
ます。何故かと言うと、歩兵戦闘の射撃距離
は、命中率を考えると400m以下。ならば
長射程の強力な銃弾は、必要ありません。
それに、小口径だと、歩兵の携行弾数も増や
せ継戦能力も高まります。
更に、反動を小さくさせるので、命中率も向
上します。それは、自動小銃化するのには、
うってつけの弾薬と言えます。
実際、帝政ロシアでは、小反動の日本の6.
5ミリ弾を使用した自動小銃を開発していま
した。
日本は、歩兵用に自動小銃の開発もしていま
したけど、軍部が熱心で無かったので、中途
半端な試作に終わっています。
一説では、遠距離の命中精度が問題視された
そうですが、近距離では、十分な精度で、自
動小銃なら撃ち漏らした時の修正射撃が容易
で逆に命中率は、向上します。
もし、小口径高初速の6.5ミリ弾を使用し
た自動小銃が制式化されていれば、前線の火
力は、増大し戦力向上したのに残念です。
航空機用の機関銃や機関砲も同じく欧米では
メーカーを統一して生産性を上げて効率化し
ていました。
米国は、航空機の主要機関銃をブローニング
の12.7ミリに統一していました。
海軍航空隊のエース坂井三郎氏は、この米軍
機が装備したブローニングを羨ましく思った
そうです。
日本も、零式艦上戦闘機に既に開発済みの1
3.2ミリ弾を利用して航空機用機関銃を開
発(実際後年開発している)して装備してい
れば、開戦初頭の零戦の攻撃力は、各段に上
がったはずです。
資源が乏しく工業力も低い日本では、本来欧
米流の合理的な生産ラインで少品種大量生産
にすべきだったのに、悪戯に種類だけ増やし
貴重な生産ラインを分散させる結果になって
しまいました。
このことは、機関銃だけでなく航空機でも発
生していました。
近代戦は、国家総力戦だということに当時の
軍人や高級官僚は、気が付いていなかったの
でしょうか。
縦割り行政の弊害で戦争に負けた
日本の陸軍と海軍は、日露戦争までは、協力
的だったと言われますが、時代が進むにつれ
てセクショナリズムが強くなっていきます。
互いに予算の取り合いをし、情報を共有しな
い秘密主義になっていきます。
国策を決める重要な兵器開発も互いに情報交
換することなく別々に同じ様な物を開発して
いました。
その結果が、先に掲載した機関銃一覧です。
このことは、航空機でも発生しています。
海軍の艦載機は、ともかく共用できる機体が
あり開発を整理できたと思います。
同じ国の中に軍隊が二か国分ある状態です。
しかも戦略は、陸軍の大陸戦略。海軍の対米
戦略と別々なもので、それを統括する人や組
織が存在しませんでした。
太平洋戦争になって有名な大本営という組織
が作られましたけど、陸海の対抗意識は、無
くならず終戦間際になっても技術供与などの
協力体制は、見られませんでした。
陸海軍共に、軍人の本分を忘れ(勝つために
どうするのかという考え)官僚化したために
互いに予算を取り合うことに精を上げて秘密
裏に兵器開発を続けた結果が先の機関銃の一
覧表にも表れています。
そして政治が軍部に影響されたことも日本に
とって悲劇でした。
本来なら、国家戦略の元に、少ない資源(工
業・人的・原料など)を有効活用していかな
ければいけないのに無駄な開発ばかりしては
真面な戦は、出来ません。
日本の10倍以上の工業力を持つ米国と戦争
をするには、無謀な組織力でした。
それでも開戦当初の勝利と5年に渡り戦い続
けられたのは、勤勉な兵士、下士官。優秀な
尉官級将校の努力があります。
複雑な兵器体系を工夫と努力で補給や整備を
やり繰りしたのは、この人たちです。
高級将校や将官は、中には、優秀な人も居ま
したけど、大半が戦略を持っていませんでし
た。本来なら国家の命運を別ける戦略を立案
して指導する立場なのにそれをしない。
前線の熟練した兵士下士官と尉官将校の戦技
と戦術に支えられていた。それが昭和の日本
軍の実態です。
戦略が無い国家が戦争をしても負けるのが当
然です。
現代の官僚組織でもそうですが、長期的な戦
略に疎く縦割り行政で予算の取り合いに奔走
しているのは、戦前戦中と同じです。
負けるべくして負けた。
それが、日本の実態でした。
どうしたら戦争に勝てた?
なんだか悲観的な結果論ばかり書いてしまっ
たので、日本の取るべき戦略について少しだ
け考察したいと思います。
詳しくは、別な記事でも取り上げるので、こ
こでは、大筋のみ書きたいと思います。
始めに、明治期から兵器開発を任務とする省
庁を作るべきでした。
これにより、陸海軍で別々の兵器開発という
無駄を無くし、兵器を効率よく開発すること
で合理的に富国強兵が可能になります。
例えば「兵器開発省」という名称で、国産の
兵器、ライセンス生産の兵器は、全てこの省
が一元管理します。
なぜ「省」かといえば、開発局でもいいので
すが、陸軍省、海軍省の下の役所になってし
まうので、言う事を聞かないという弊害が起
きるからです。
陸海共に技術者をここに派遣して共同で兵器
開発をします。
〇歩兵銃は、口径6.5ミリで自動小銃化
〇重機、軽機は、威力のある7.92ミリ
〇航空機用は、中口径とし13.2ミリ
〇同旋回機銃は、ラインメタル系
〇20ミリ口径は、エリコン系に統一
〇大口径は、ライメタルの37ミリ
どうですか?だいぶスッキリした感じです。
これにより、兵器の合理化が進み少品種大量
生産が可能になり、生産ラインも有効に使う
ことが出来ます。
実際、ドイツでは、陸軍兵器局が、陸海空の
兵器を統一化していました(海軍の軍艦と大
砲は、別)
そして、日本がとるべき戦略は、南進する恐
れのあるソ連への警戒と対米戦略です。
それからアジアの解放を旗印に欧米の植民地
の解放戦略。これで大義名分が出来ます。
中国戦線は、満州国の建国と防衛までに徹し
て沿岸警備と疎開地の警備に専念して、内陸
部への戦線拡大は、しない方針を採ります。
満州国は、資源の採掘と対ソ連防衛の拠点と
緩衝地帯として運営していきます。
そして中国は、蒋介石の国民党と協調して共
産主義との闘いに協力体制をとります。
これで、多大な予算と人員の損失は、防げ日
中戦争が無くなります。すると軍備増強の予
算が生まれてきます。
そこで海軍中心に対米警戒路線を強化してい
きます。但しあくまで「防衛」に徹して対米
戦略は、友好的なものとします。
中国と戦争をしない結果、米国は、日本への
輸出や技術供与を止める理由が無いので、高
品質の鉄くずや高オクタン価の航空機用ガソ
リンや品質の良い潤滑油を輸入できます。
史実では、中止になったガソリン精製プラン
トの技術供与も可能になるので、日本で高オ
クタン価のガソリンを製造することも出来ま
す。これは、史実では、あと一歩のところま
でいっていたのですが、日中戦争の影響で頓
挫しています。
そもそも日中戦争にならなければ、太平洋戦
争は、発生しません。
そして大陸での膨大な戦費が発生しなければ
その分を海軍の艦艇増強に振り向けられます
ので、米国への抑止力になります。
仮に、米国と戦争になったとしても、宣戦布
告は、史実よりずっと後で、まともな戦いが
出来たはずです。
そして建造した戦艦大和を敢えて公開するこ
とで、米海軍の対日戦略が大きく狂います。
戦前の欧米は、大艦巨砲主義です。
史実でも、戦艦長門と陸奥の存在から米海軍
は、対日戦に消極的でした。
それを上回る強力な戦艦の登場は、強い抑止
力になったはずです。
機関銃の話しから少し逸れましたけど、機関
銃も重要な兵器の一つ。この兵器開発の方法
や運用次第で戦局を大きく塗り替えます。
お役所仕事の机上の空論。精神論では、近代
戦には、勝つことが出来ません。
近代戦では、技術に精通している官僚や軍人
テクノクラートの存在が必要です。文系のお
花畑な思考では、勝てないんですね。
まとめ
なんとなく日本軍は、機関銃が少なくて戦争
に負けたと思っている人が多いと思いますが
実際は、世界でも類を見ない種類の機関銃を
開発していたんですね。
ただ、その多品種生産が、大量生産の足を引
っ張り十分な量を前線に送り出せませんでし
た。
もし、機関銃生産方式を海外の軍隊に学んで
いれば、あの戦争の悲劇をもう少し軽減でき
たのでは、ないかと思います。
そして、現代に続く、お役所のセクショナリ
ズムの弊害を強く感じました。
現代の官僚の多くは、文系で科学的な思考に
疎い政策を未だにやっています。
戦争に負けた日本。200万人以上の犠牲を
出しても、何も学んでいない。
現代は、経済戦争です。一度は、米国に次ぐ
位置まで行ったのに、今では、どんどん低下
していっています。
過去の失敗に学び、建設的で科学的な発想を
持ち、立て直すには、政治家を含め官僚組織
の大改造が必要なのでは、ないでしょうか。