縄文時代は、世界最古の文明?土器が物語る真実。

世界最古の土器の出現は、何を意味する

教科書では、世界4大文明は、メソポタミア文
明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明だ
と教わった人が大半だと思います。

じゃあ、その様な地域から文明が進歩して現代
に至っているのかと考えますよね。

巨石文明や都市国家といった文明の痕跡だけが
目につくのですが、どの文明も、それ以前の旧
石器時代から牧畜や初歩的な農業を一定の集団
で行って文明を築いてきました。

そんな訳で、どの文明も原始的な時代の痕跡が
あるはずなのです。

その中でも、人類初めの科学的変化の応用であ
る「土器」の出現は、文明の始まりです。

もっとも古いメソポタミアの場合、石器を中心
に牧畜と簡単な栽培がおこなわれていたのが、
BC6000年頃のハッスーナ期。そして、土
器の出現は、BC5000年頃のハラフ土器。

エジプトの場合は、牧畜自体は、先王朝時代以
前、BC7000年頃から牧畜が営まれ、BC
6000年には、簡単な麦の栽培がおこなわれ
BC5200年頃に土器が出現しています。

ふむ、土器の出現は、BC5000年頃から、
各地で独自の進化を遂げていったようですね。

世界最古の土器が発見されれば、それが、一番
古い文明の指標といえます。

それらの外国の文明がもたらした技術が、長い
旅路をへて極東の日本へ伝わってきたというの
が「教えられてきた」歴史です。

ところで、大平山本(おおだいやまもと)遺跡
というのを御存じでしょうか。

青森県東津軽郡外ヶ浜町にある旧石器から縄文
時代初期にかけての遺跡です。

そこから出土した土器の「おこげ」を放射性炭
素年代測定法で導き出した結果、その土器の年
代は、なんと1万6500年前~1万5000
年前ということが判りました。

紀元前にするとBC1万4000年頃です。
驚くほど遠い昔のことです。

同じく出土した石鏃(せきぞく)という石の矢
じりの年代も同じくらいで、世界でもっとも古
い弓矢の使用を示唆しています。

世界一古いものが、日本から出土!!
これは、いったいどういう事?

 

隠ぺいされていた不都合な真実?

先に書いた、大平山本遺跡の発掘調査は、19
75年と1998年に行われていました。

2021年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」
として世界文化遺産として登録されるまでは、
ネット上でも話題にならない、ひっそりとした
遺跡でした。

実際、今でも古い木造の小さな建物の一角に、
ひっそりと展示しているだけです。
世界最古が、この扱いでいいのでしょうか?

世界では、世紀の大発見と言われたのですが、
日本では、なぜか日の目を見ない。
隣の国中国では、その数年後に、それより2千
年以上前の土器が出土したと、颯爽と報道しま
したが得意の捏造がすぐバレてしまいました。
現物が盗まれて今はないそうです。と、言い訳
をしています。

世界最古の土器ってことは、世界最古の文明じ
ゃないか。
世界が騒然とするのも解ります。

土器だけじゃなく、旧石器時代の遺物も日本で
は、数多く出土しています。
出雲の砂原遺跡では、12万年前~11万年前
という日本最古(世界最古)の石器が見つかっ
ています。

しかし、日本では、故意なのか無関心なのか、
あまり話題には、なりませんでした。

でも、ネット検索でも「大平山本Ⅰ遺跡」と、
Ⅰをローマ数字にして検索をしにくくしていた
痕跡が感じられます。

多くの人は、話題になるまでは、日本から世界
最古の土器が出土していたとは、知る由もあり
ませんでした。

教科書の縄文時代を書き換えなければいけない
ほどの発見なのに、日の目をみなかったのは、
なぜでしょうか。

実を言うと、日本には、世界最古級のものが、
けっこうあります。

世界の文明が、長くて数千年で勃興と滅亡を繰
り返している中で、日本は、神武天皇から数え
て2700年以上存続している国家です。
ギネスブックにも載っています。
一つの国家ではないのですが、もし縄文時代か
ら数えたらとんでもない年数です。

特に、縄文時代は、1万年以上に渡り、採取と
狩猟、簡単な栽培で続いた謎の時期です。

この長い間、人々は、小集落(青森県の山内丸
山遺跡の様な大規模集落もある)で、争わずに
平和に暮らしていたことが伺えます。

日本各地の交流も遺物から証明されています。
恐らく、なんらかの言葉も各地バラバラでしょ
うが、あったと思われます。

世界の様々な大規模な文明が、戦争や侵略で滅
亡と勃興を繰り返していたのと真逆です。

どんなに文明が発達しても「破壊」されたら継
続しませんよね。

ところが、縄文人は、争いを避け、植生も必要
なだけ採り採りつくさず自然と共に生きる精神
性の高い「文化」を気の遠くなる様な長い期間
続けることができました。

古代のSDGs(持続可能な開発目標)です。

そう考えると、今私たちが慌てて取り組んでい
る環境問題をすでにスローライフな生活で実践
していた縄文人のほうが進んでいたのかもしれ
ませんね。

そう、日本人の本来の姿は、争いを好まぬ種族
なのです。平和ボケと笑われようが、戦争は、
大嫌いだったのです。

平和好きな日本人が、世界の発祥だったら。
世界の争い好きな民族には、隠しておきたい事
実なのかもしれません。

 

縄文カルチャーと現代日本のサブカルチャー

日本と言えば、アニメやゲームといったサブカ
ルチャーが熱い国です。
その点では、世界から羨望の眼差しで見られて
います。憧れている外国の若者も多く居ます。

サブカルチャーとは、ある独自性を含む行動様
式や価値観のことを言います。

さて、そのサブカルチャーの血筋は、どこまで
遡れるのでしょうか。

まず、サブタルチャーが生まれるには平和な世
の中が必要になります。

鎖国で江戸文化が盛んだった江戸時代?

400年に渡って長く続いた平安時代?

いえいえ、もっともっと遡れます。

そう、縄文時代です。

本来、煮炊きに必要な「道具」に、様々な造形
や文様を施した縄文土器や土偶といった呪術的
要素のある焼き物です。

その中でも縄文晩期の火焔土器の迫力には、見
た者に、製作者の熱いイマジネーションを感じ
ずにはいられません。

どや、これ凄いだろ。そんな声が土器から聞こ
えてきそうな感じがします。

世界最古の土器は、無紋土器ですが、時代が進
んでいくと、縄目模様を付けたり装飾を派手に
したりと、独自の造形に変化します。

もはや芸術作品といえる火焔土器は、実用品で
もあり、サブカルチャーの領域を超えている独
特の存在です。

ゆるりスローライフを送りながら、粘度をこね
様々な土器を作っていた縄文人。
生活には、大いなる不便さがありながらも、そ
の精神性は、実に豊かです。

縄文時代の期間は、1万年以上です。
そんな悠久の時を豊かに暮らしていたなんて、
ちょっと想像できないですよね。

 

現代まで続く縄文の息吹

連続していた縄文時代は、なぜ終わったのか。

大陸からの渡来人によって滅ぼされてしまった
のでしょうか。

いえ、それはあり得ません。

当時の航海技術では、縄文人を滅ぼすほど大量
の人間を送り込むことは考えづらいです。

確かに、大陸からの渡来人が、新しい技術を持
ってきたのは、事実です。

特に弥生時代になって稲作が大陸からもたらせ
たと教わっていますが、岡山県の彦崎貝塚から
(約6000年前)大量の稲のプラントオパー
ル(イネ科植物の細胞成分)が、発見され、縄
文中期には、すでに稲作が始まっていたという
事です。

弥生時代の様な水田ではなく、湿地帯にに自生
していた稲や、陸稲かもしれませんが、縄文時
代にすでに米が食べられていたのは、事実な様
です。

本来言われている弥生時代BC300~250
年という稲作の歴史は見直す必要があります。

このことからも、縄文中期には、すでに稲作が
行われ、熊本県の大矢遺跡から出土した土器に
は、稲もみの圧痕が発見されているので確かな
様です。

と、言う具合に、確かに大陸から何らかの新し
い技術や文化が縄文人に新たな進歩をもたらし
た様です。

縄文人は、各地で物々交換をしてコミュニケー
ションがとれていた民族です。
青森の縄文人が海を渡り北海道の縄文人と交流
していた事実も発見されています。

そこに外国の渡来人が来ても、抜群のバイリン
ガルなコミュニケーション能力で、新しい技術
や文化を習得していたのではないでしょうか。

そして、縄文の精神は、脈々と現代にも受け継
がれています。

それは、当時とは形態が変わりましたが神道の
考え方です。変わらないのは、万物すべてに神
が宿り、それを祀る習慣です。

外国では、一神教が主流ですが、日本の神様は
八百万の神です。ものすごく多い神様達。
トイレの神様も居るくらいです。

日本人の精神性は、外国じゃ理解不能の無限ル
ープの世界です。善悪、イエスかノーかの二元
論じゃ済まない玉虫色の美しい調和性を持って
います。

だから、神は祟るものとして怨霊や祟り神、鬼
も含めて「神」として祀るのは、日本くらいの
ものです。

それから、縄文人は「円」を大事にしました。
竪穴式住居、土器、ストーンサークルなど、円
を調和のアイテムとして珍重していました。

そこには、皆平等で仲良くという理想が込めら
れているのではないでしょうか。

昨今、アメリカの圧力で規制撤廃の荒しで、日
本の「本来の良さ」が消えつつあります。
労働の自由化で、非正規社員が増え、若者中心
に家庭すら持てない不安定な生活を余儀なくさ
れている人々の存在。激しい貧富の差。

かつて、一億総中流といわれた高度経済成長期
のような面影は無くなりました。
そう。中間層と言われる人々は、縄文時代の格
差の少ない時代と重なります。

今一度、遥か悠久の時を超えて縄文時代の平等
で平和な時代に思いを馳せてみてはいかがでし
ょうか。

 

まとめ

世界最古の土器の出現。それが、日本だという
事に驚く人も居たかと思います。

縄文時代というと、なんとなく獲物を追い回し
て原始的な暮らしをしていたのを想像しますが
実際は、規則正しく自然と調和し、高度な交流
もあり、文化も想像以上に進んでいたというの
が発掘の調査結果です。

こと精神性については、現代の人々が見習わな
ければいけないものがあります。

自然との調和、皆平等、争いが無い。

そんな理想郷のような暮らしをしていた縄文人
は、現代の争いだらけ、競争社会、環境破壊と
文明は、進んでも「心」が荒廃した現代人を見
たらどう思うでしょうか。

1万年以上、平和に暮らしていた縄文時代。
改めて考えてみる必要があると思います。